Carpathia III: Episode 10 - ワールド


想定外区域

カオル: わぁっ、わぁぁー、、、、

光は、薄いカーテンを通して絶え間なく降り注ぎ、カオルは、閉じた目に焼け付く痛みのように、その光を感じた。 ずっと目を閉じたままでいたいという願望もあったが、それにも増して、今自分がいる場所を見たいという願望が強かった。 傷の痛みとひどい頭痛の中、ゆっくりと細目を開け、焦点をあわせようとした。 自分が横たわっているベッドとその横にある小さなテーブルくらいしかない、小さな部屋だった。 なにもかもが、風化した灰色の木材で作られていて、まるで、海辺の掘ったて小屋を頑丈な造りにしたような部屋だった。 わざと、光が入って来る窓の方を向かないようにした。 悲しくなるような気がしたからだった。 その代わりに、部屋の反対側にある、使い込まれて摩耗し壊れかけているドアノブのついたドアに目を向けた。

まだ頭はぼーっとしていたが、自分に何が起きたのかと、記憶の断片を少しでも繋ぎ合わようと試みた。 暗闇の空間の事。 ファンタジー小説から抜け出たような奇妙な森の中を、数日間、歩いた事。 そして、撃たれた事を思い出した途端、脚に痛みが襲ってきた。 一般的に、生存するためには苦悶が伴うものなのだろう。 自分の居る場所の事や、安全なのかどうかという事は、もう、どうでもよくなり、絶え間なく呻き声を上げつつ、できるだけ体を動かさないようにしながら、ただ、その場所に寝ていたいという堪え難い衝動に従った。

ドアが開き、女性が単純な造りの車椅子を押して、入って来た。 ほっそりとして背の高いその女性の髪の毛は、長い黒髪で、穏やかな風に流れる細いシルクの糸のように、さらりと揺らめいた。 前に会った少女と少年と同じような、尖った耳に気づいた。 そして、その車椅子(仮に車椅子と呼べるような代物だとして)は、普通の木の椅子に、一組の車輪が釘で打ち付けられ、前の部分には木の板がつけられたいた。 女性が押す度に、大きなきしむ音をたてた。 その車輪のきしむ音は、まるでロックコンサートでスピーカーのすぐ隣にいるように、彼の頭の中に反響した。

女性: まあ、かわいそうに。 気分、酷く悪いわよね。

カオルは、ゆっくりと腕をベッドに押しつけ上体を持ち上げようとした。 ずっと自問していた疑問が、突然、ずきずきする頭に、ごちゃごちゃになって、怒濤のように戻ってきた。

カオル: だれ、、、どこ、、、

女性は片手を少し上げ、頭を横に振った。 カオルは、黙った。

女性: 話をする必要はないわよ。 私は、タルジャです。 「どこ」かっていう件については、夫に説明してもらおうかしら。 あの人の趣味の一つなのよね。

タルジャは、優しく親切に言葉をかけてくれ、カオルはその事に感謝した。 今のカオルは、物音に対して堪え難い状態だったが、その事を理解している彼女のなだめるような声は、カオルの頭痛に薬のように作用した。 タルジャが、ドアの方に向けて、手を揺らした。 カオルが目を向けると、レウリが覗いていた。

レウリ: 目が覚めたんだっ!!

カオルは、突然の大きな音に、たじろいだ。 頭がずきずきと痛む理由が、カオルには分からなかった。 ただ、そのおかげで、脚の焼けるような痛みから、気がそれた。 タルジャが指を口元にあてると、すぐに、レウリは悟り、恥ずかしさからか、足を床の上でぶらぶらと振った。 今度は、熱心な様子で、ひそひそ声で、言った。

レウリ: ごめーん! 目が覚めたんだね!

レウリは、手に小さな瓶を持ち、わざとらしくやけに大きな歩幅で、滑稽なつま先立ちの足取りで、部屋の中をやって来た。 あまりにもバカげたその場面に、カオルは、苦痛の中にあるにもかかわらず、おもわず笑いだした。 レウリが短い距離を時間をかけてやってくるのを、タルジャは辛抱強く待ち、ようやく彼の手から瓶を受け取った。 そして、それを、カオルに手渡した。

タルジャ: さあ、これを飲んでね。 ひどい二日酔いでしょうから。 これ、すごく効くのよ。

カオルは、小さな瓶を受け取ると、鼻に近づけた。 匂いを嗅ぐと、花の甘い香りがした。 口に含むと、香り同様に、味も甘かった。 見知らぬ人から提供された訳の分からない物を口にするのは普通では考えられないが、痛みが堪え難く、カオルは、その瓶を口の上で逆さまにした。 濃厚な糖蜜のような液体が喉を滑り落ち、すぐに、高熱の体内を冷やした。 タルジャに瓶を返す前、その液体を一滴も残すまいと、貪欲に、瓶の口の縁を舐めた。 すると、脚の痛みは今だ酷かったが、頭の方は、すっきりしてきた。

カオル: 僕が、二日酔いだって、言いました? 酒を飲んだことは、一度もないんですが。

タルジャは、熱がまだ高いのを確かめるように、カオルの額に手をあてた。

タルジャ: ほんとの事を言うと、あなたが何も覚えていないみたいで、ほっとしてるのよ。 あなたの脚から弾丸を取り出して、縫い上げたの。 私は、いざと言うときには、腕の立つまともな医者なのよ、でも、まあ、あなたをウイスキー浸けにする手抜かりもなかったわ。 痛みを、鈍くさせるのよ。

カオル: 麻酔のほうが、よかったですが。

タルジャは、頭を傾け、眉をひそめた。

タルジャ: 麻酔って、何なの?

突然、カオルは、昨日の夜の事を何も覚えてなくてよかったと、思った。

タルジャ: 後で傷に薬をつけるけど、心配いらないわ。 それほど痛くないはずよ、今回は。 昨晩みたいなことには、ならないわ。 何か食べたいんじゃないかと思うから、あっちの部屋に行きましょうか。 イックソンが、あなたと話をしたくって、もう、死にそうなくらいなのよ。

カオル: ちょっと、腹が減ってます。

タルジャは、レウリの方に、顔を向けた。

タルジャ: カオルを椅子に座らせるの、手伝ってくれる?

タルジャは、カオルの肩の後ろに優しく手をそえ、前方にそっと押し出した。 レウリは、ベッドの方に、あの単純な造りの車椅子を押して来て、カオルが体を移動できるように、ベッドのすぐ横にくっつけた。 タルジャの手をかりながら、ゆっくりと根気強く、カオルは、体をすべらせるように車椅子に移動させた。 椅子に腰をつけると、レウリが彼の足をつかんで、ゆっくりと車椅子の前部から延びている厚板の上に傷ついている方の脚を載せた。 ベッドの上に残っている方の足は、自分で床に下ろした。

カオルが車椅子につくと、タルジャは部屋の外に押して行った。 レウリは、興奮した犬のように、先を突進して行った。 タルジャに車椅子を押され、廊下を進んで入って行った大きな部屋は、キッチン、ダイニングルーム、作業部屋のすべてのように見えた。 部屋の中央には、書類や巻物で埋め尽くされた大きなテーブルがあり、その上には、古くさい電気ランプが置かれていた。 テーブルの端には、男が座っていて、その男の耳も、他の3人と同様に、先が尖っていた。 ブロンドの髪はきちんと整えられ、赤色の服を着ていたので、周りの古びた灰色の材木とは、極めて対照的だった。 男はカオルを見ると、すぐに、不器用な仕草で立ち上がったが、コップとインクつぼを、もう少しで、ひっくり返すところだった。 慌てて、汚れを拭き取ろうとしながら、カオルに挨拶した。

男: やあ、どうも!

男は、とても興奮した様子でやって来たので、カオルは、少し、ぎょっとした。 男がタルジャから車椅子を奪い取ると、タルジャは、迷惑そうな感じではなく、むしろ、その興奮状態をおもしろがっているようだった。 男が車椅子をテーブルにつけると、カオルは、すばらしく美味しそうな匂いが漂って来ることに気づいた。 皿の上には、たまご、肉と、野菜があった。 たまごの黄身は赤く、肉はハムのようなものに見えたが、ジューシーで霜降りだった。 野菜は、どれも今までに一度も見たことのないものばかりだった。

男: 僕はイックソンだ! 君に会えて、とてもうれしいよ!

カオル: カオルです。 カオル・ロマノフといいます。

イックソン: そう、そう、そうだってね。 クイリオンから聞いたよ。 君自身も、昨日の手術の最中、悲鳴の合間に、一度だけ、その名前を口にしたかもしれない。 すごい大騒ぎだったなっ! アンフィトライトでも、聞こえたんじゃないかな! じゃ、始めるけど、君の名前と外見から判断して、僕は、君がカルパティから来たんだと、想像してるんだけど、当たってる?

カオルは、ビックリして、イックソンを見た。

カオル: その通りです! でも、どうして分かったんですか?

カオルは、自分でも、イックソンの事を気に入ってくるのかどうか、分からなかった。 イックソンは、すごく熱中する体質のようで、また、彼の話は、色んな事がごちゃまぜになって、次々と頭の中から出て来るようだった。

イックソン: まず第一に、君は地球人だから、地球、火星か、カルパティの何処かから来た。 で、君の名前は、典型的なカルパティ人のものだから。 大正解だった、やったぞっ! あっ、君は、食事したかったんだな! さあ、どんどん食べて! 聞きたいことがあってうずうずしてるんだけど、まず、君も知りたいこと色々あるだろうし、君のほうから質問があるんだったら、その後で、もし君がよかったらだけど、話を聞かせてくれよ。

イックソンは、自分の椅子に戻ると、話をせがむ子供のように、前かがみにテーブルに肘をついて座った。 カオルには沢山、聞きたい事があったが、まず最初は、明らかにこの事だった。

カオル: ここは、どこ?

イックソン: わぁっ、君は、ブラック・ポータルから、出て来たばっかりなんだね?

イックソンは椅子の背にもたれ、頬に手をあて、どこから話を始めようかと考えだした。 カオルは、彼が今、口に出した「ブラック・ポータル」について聞きたかったが、彼の考えがまとまるまで、たまごを食べながら待つことにした。

ついに、彼は身を乗り出して、テーブルの上の書類の山から大きな地図を取り出して広げた。

*画像をクリックすると、高解像度の地図を表示*

イックソン: ここは「イセリ」という、青色の巨大惑星「アンフィトライト」の周りを回る軌道衛星、つまり「月」だ。 この地図に載っているのは、水があって居住可能な区域だけだ。

カオルは、大きな関心を持って耳を傾けながらも、食べ続けていて、今、ようやく、たまごを食べ終わり、霜降りハムのようなものに、とりかかろうとしていた。

イックソン: 何枚か地図を作ったから、これは、君にあげるよ。 大事な事は、憶えられるように、書きしるしておくよ。

書き終わると、地図上の南東方角の角を指差した。

イックソン: これで、分かりやすくなったと思うんだが。 ここに君はいるんだが、ここは、想定外区域と呼ばれてる。 正直な話、名前はつけられていないんだ。 大半の部分は森林で、人はほとんど住んでない。 だから、それほど、ゼイルの注意を引かないんだ。 生活の糧は、狩りをして、獣の肉や皮を川向こうの農家に売ることだ。 クイリオンは、今、狩りに出ている。 ほんと、朝早くに、出かけたよ。 たぶん、君に合わせる顔がないんだろう。

次に、イックソンは、地図の上部全体にわたって手を動かした。

イックソン: ここには、国が2つあるんだ。 まず大きい方が、ゼイル王国。 この世界で、発見されている水の大部分を制御している。 彼らの社会は、非常に階層的な構造だ。 上流階級は、ゼイル・シティに住んでいる。 言うなれば、貴族連中だ。 次に来るのが、農家で、彼らは、ゼイルの食糧供給の大半を制御する委託管理の特権を与えられている。 その次は、ショップやなんかで働いているサービス業の労働者だ。 運のいい奴らは、ゼイル・シティで商売していて、下層階級ではあるが、他の奴らよりはいろいろと恩恵に恵まれるようだ。 底辺は工場労働者だな。 ゼイルでは、ほとんどの人が、このカテゴリに分類される。

イックソンは、地図の左下部分に指を走らせた。 カオルは、ハムをもう一切れ切って、口に運んでから、よく見ようと身を乗り出した。

イックソン: これはネクラマンティア収容キャンプだ。 あまり、よく分かっていないんだが、知っている事は教えるよ。 メールストロムという男によって管理されているという噂だ。 不可思議な男だ。 どんな男なのか、誰も知らないんだ。 その区域の残りの部分には、分かっている限りでは、子供やティーンエイジャーがいるようだ。 ほとんどが兵士だが、鉱山や工場で働く者もいる。 それ以外の事は、すべて噂だ。 近くまで行ったという男を知っているが、たいしてよく見れなかったらしい。

イックソンが話し終える頃、カオルは、咀嚼を終えて飲み込んだ。

カオル: この月では、この区域だけに、水があるんですか?

イックソン: 他の区域にも、ほんの少しならある。 月の多くの部分は、砂の海の一種である「アリド海」に覆われている。 そこには、すさまじい量の電流が飛んでいる。 どうして電気があるのか、それに、どうして電気がずっと無くならないのか、いまだに謎なんだ。 特別のボートもあるんだが、滅多に目にすることはないよ、すごく造るのが難しいからね。

カオル: どうやって、僕はここに、やって来たんでしょうか?

イックソンは、椅子の背にもたれかかって、思慮深げの表情をした。

イックソン: あっ、それが知りたかったんだ、違う? 知る限りでは、元来イセリ原住の民族はいない。 僕の祖父母も、おそらく、君と同じような経緯で、ここに来たんだ。 暗黒の空間に吸い込まれて、この月のどこかに押し出された、という話を、聞いたよ。 少し変なのは、ポータルとも呼ばれるその「空間」を介して到着したほとんどの者は、男の子だ。 ところで、いつ、ここに来たんだ?

カオル: 数日前です、たぶん。 正確には、わかりません。 ここでは、昼間の時間が本当に長いので。

イックソン: 君は、僕の知る限り、ポータルを抜けて来た者の中で、一番、年上だろうな。 ほとんどは、まだ、子供だ。

カオル: 友達5人と一緒にいたんです、、、その、、ここに来る前。 誰かを目にしませんでしたか? ネコヒューマン人が2人と、地球人、トッキ、ドラゴンがそれぞれ1人づつ。

イックソン: 何も聞いていないが、あちこちにあたってみるよ。 その前に、トッキというのは、なんだい?

カオルは、最初は驚いたものの、以前に行った場所で、自分が知っている民族について知らない人々がいた事を、思い出した。

カオル: トッキは、地球人やネコヒューマン人と、外見が大きく違うわけではないんですが、ただ、すごく長い耳と、小さめの毛むくじゃらの尻尾を、持っています。

カオルは、トッキの耳の長さを強調しようと、両手を広げた。 その瞬間に、イックソンの顔全体に広がった懸念の表情に、カオルは、不安が大きくなった。

イックソン: ウサギっ! なんてことだっ! イセリで、ウサギは目にしない。 彼がポータルを通ってこなかった事を、祈るべきだろう。 ここでは、千年もの昔から、法律によって、土地所有するためには、その土地のウサギを、すべて殺さなければならないんだ。 誰も理由を知らないが、ただ、その法律はとても古いから、憶えている人は、そんなにいないだろうが。 すくなくとも、心から、そう願ってるよ。

カオルの胃はよじれ、突然、食欲を失った。 イックソンは、カオルの様子が急に変わったことに気づき、椅子から立ち上がった。

イックソン: この想定外区域にいる我々は、ゼイルにもネクラマンティアにも服従しないと、約束する。 もし、君の友達のウサギ君が、ここに、この想定外区域にいる場合、彼の身の安全は、大丈夫だ。 その一方、君も、好きなだけここにいて、構わない。 この森林では、互いに助け合う。 そうゆう仕組みなんだ。

少なくとも、彼は安全なようだと、不安がなくなり、カオルは、ホッとくずれるように座りこんだ。 だが、まだ、友人たちの事は、心配だった。

本エピソードのイラスト委託作成:
Miyumon
Iniphineas

「都市」の画像は、「SimCity 4」の画面です。
「地図」作成: Jporter

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